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SPECIAL TALK  vol.2
by Masaaki Nishiki
作家・西木正明が語る「生涯の趣味としての釣り」

「深山幽谷で学んだ釣りと人生の大きな収穫」

人知れずロッドを片手に渓流を歩くとき、背筋の伸びるような緊張感。 釣り仲間と集う釣り宿の一夜で味わう解放感。 そして、伴侶を見守り自然の中で体感する太い絆。 ドキュメンタリーノベルズの作家として、直木賞をはじめ多くの文学賞を受賞した西木正明さんが自らの生涯の趣味とした釣りには、多くの喜びや驚き、深い学びが内包されていると言います。

2015.11.9 / SPECIAL TALK


始めに日本の希有な自然在り

st_2_02 僕にとって釣りは、もっとも長く続いている趣味です。釣りにもいろいろなスタイルがありますが、僕の場合、そもそも秋田県のおもいきり山奥で、マタギから山歩きを教わったような人間ですから、渓流釣りが出発点でした。今では下流域の大きな河川や湖で釣るのも好きですし、また外国での釣りも面白いと思いますが、一番好きな釣りはやはり渓流釣りです。

 渓流釣りのために、北は北海道から南は九州まで、主なスポットは歩き尽くしました。そして思うのは、「日本の渓流には、他の国にはない日本独特の素晴らしさがある」ということです。

 その魅力を一言で表現するなら“深山幽谷”、まさにこれに尽きます。

st_2_03 高い山や深い森は、アメリカにもヨーロッパにもあります。そうした山々にも、素晴らしい渓流はたくさんあります。しかし、深山幽谷という言葉で表現できる場所は、他の国にはない。また、日本人の心には、深山幽谷に対する敬いと畏怖の念がある。自然と精神的な世界が結びついているのです。

 アラスカの山奥の川へ行けば熊も出るし、怖いといえば怖い。しかし、畏敬の念というのとは違います。日本の自然には、「ここから先は神の領域になる」というような、決して侵してはならない神聖さがあります。釣りをするために川の奥に入るときでも、知らずに身が引き締まっている。誰もが目に見えない大いなるものに頭を垂れるというか、祈る、拝むことに近い精神状態になる。僕のようなろくでなしでも(笑)、そういう気持ちになるのです。

渓流釣りは心と身体の診療所

st_2_10 渓流では、主にヤマメやイワナを狙います。釣りの対象魚として最高に面白い魚ですね。イワナはエサ釣りよりも、西洋式毛針釣りのフライフィッシングないしは、日本の伝統的な毛鉤釣りテンカラの方が楽しいと思っています。道具もシンプルですし、水面に浮く昆虫を模した毛針を魚が咥える瞬間は、実にスリリングです。しかも、魚が掛かった瞬間の爽快感と達成感は格別です。

 また、渓流釣りの実利的な側面で考えると、渓流釣りの運動量は非常に高い。ジョギングなどとは違い、不規則な状態を歩くのですからバランス感覚も養われる。健康面で考えれば、日頃の運動不足の解消には最適です。一度渓流釣りに出かけると、帰ってくるときには体調がすごく良くなっている。ですから僕は同世代に比べて、足腰の頑丈さには自信があります。

 アラスカへ釣りに行った時でも、あの辺りには大きな川が多いのですが、平気でおへそのあたりまで水に浸かって川を横切り、一緒に行った連中が感心していました。日本の渓流を頻繁に歩いていると、川の流れに押されない足腰ができあがるのだと思います。

 精神的な効能もあります。渓流に入る季節、周囲は緑、そして緑、緑一色の世界です。空気まで緑色になっているような気分になりますから、そのリラックス効果は計り知れないものがあります。街で暮らしていると、白やグレー、茶色に囲まれている時間が多くなりますが、自然の中で緑に囲まれていると、脳細胞の一つひとつが新鮮さを取り戻していくような気がします。

st_2_04 僕は作家ですので、人によく「渓流を歩いているときに、小説の構想を練ることはあるんですか?」と聞かれることがあります。でも、そんな簡単にアイディアが浮かぶことはなく、むしろ自然の中を歩くときは、頭を空っぽにして淡々と歩いているだけです。しかし、無心にフライロッドを振っていると、なんの前触れもなく、スコーンといいアイディアが閃いたりすることも事実です。心が満ち足りていて、精神的な余裕があると、そういう恩恵にあやかることもできる。たぶん、きれいな空気を吸い、脳が活性化するのでしょうね。

 面白いのは、そうやって気分が和んでいる分、気も長くなります。セカセカしなくなる。渓流に入る前に多少イライラすることがあったとしても、山を歩いているとそれはちっぽけなことのように思えて、どうでもよくなってしまう。これはまことに結構なことだと思います。

 また、好きな世界は書きやすいですから、釣りは仕事のヒントにもなります。僕のひとつ上の世代、高橋治さんが直木賞を取られた作品は、『秘伝』という釣り師の話です。そういう世界もいつか書いてみたいと思っていますし、若い世代からも釣りを題材にした、いい作品を書ける人に出てきてもらいたいですね。

 若い作家で、釣りを趣味にしている人は結構多くて、夢枕獏さんが『大江戸釣客伝』で吉川英治文学賞、泉鏡花文学賞、舟端聖一文学賞の三冠を達成したでしょう。あれに刺激を受けて、釣り文学も盛り上がるとよいですね。

持って生まれた本能に従うことの安心

st_2_05 僕は今年で75歳。ガキのころから数えたら、60年以上釣りを続けていることになります。でもまったく飽きないのです。

 なぜかな――。釣りは海であれ、渓流であれ、人里であれ、自然の中に入れば手軽に楽しめる。しかも、漠然と自然と向き合うのでなくて、水際に立って、竿を振って、魚という生き物と対峙する。そして、知らず知らずのうちに魚以外のいろいろなものも見ている。一見単純な作業のように思えるけど、いろんな情報をキャッチして、いろんな刺激を受けているのです。

 気の置けない仲間と一緒ならホラ話も含めて、いろんなエピソードが生まれる。釣ることだけが釣りの楽しさではない。「人生の森羅万象」を、釣りの中で味わえる。だから飽きるどころか、ますます好きになるのでしょうね。

 私の妻は、結婚するまで芸能界で仕事をしていたので、アウトドア系の遊びとは無縁の人生を歩んできました。僕が好きなので仕方なく釣りに付き合ってくれていたのですが、ある時、自分でやってみると面白いということに気がついた。昔は、秋田の乳頭温泉あたりでも、大深沢は前人未到のような奥地でした。それでも、僕と一緒に胸まで水に浸りながら歩くようになり、気がついたら僕に劣らぬアウトドア好きになっていました。

st_2_06 年齢を重ねるうちに、自分からアウトドアに出てくることはなくなりましたが、僕が釣りに出かけることに関しては、まったく文句を言いません。大自然の楽しさを知っているし、僕がすっきりした顔で帰ってくるのを見ることが楽しいんじゃないですか。都会の歓楽街に出て行くのを見送るのは面白くないだろうけど、釣りならそういう心配もない(笑)。

 釣りを通して友人関係が広がる、という良さもあります。仲間と釣りに出かけて、良い宿に泊まり、夜の酒の肴に「今日は釣れた」「釣れなかった」という話をするのですが、釣れようが釣れまいが、みんな楽しそうな顔をしている。遊びでも負ければ悔しいし、目標を達成できないと不満が残るものですが、釣りはボウズでも腹が立たない。釣りに来た時点で、ひとつの目標を達成しているのでしょうね。そういう意味では登山にも通じます。その場所に来たという、その時点で無条件に楽しいのです。

st_2_11 僕は渓流釣りでは、基本的に釣った魚は放す“キャッチアンドリリース”なのですが、山にテントを張って渓流釣りをするときは、晩ご飯のおかずを調達しなければならない。そこで、泊まる人数分の魚は、ありがたく頂戴しています。

 自分が釣った魚を調理する時は、下ごしらえの段階から楽しい。家にいるときは自分から進んで料理することなどないのに、いそいそと準備をしている自分がいる。好きでやっているから、火の起こし方も、魚の捌き方も、飯ごうを使ったご飯の炊き方も、味噌汁の作り方も自然に覚えてしまう。これなら、突然一人暮らしをしなければならない状況になっても、何とか生きていけると思いますよ。

 釣りをして、釣った魚を食べるという行為の中には、人間が生きていくうえで必要な多くの要素が含まれていると思います。全てとは言わないにしても、生活に必要なことのかなりの部分を網羅しています。渓流釣りでは、川にはまってずぶ濡れになることもあるから、洗濯の要素まで含まれているほどです(笑)。

 スーパーで売られている切り身の魚を食べることも、ほかの生き物の命をいただくという意味では同じですが、釣った魚を食べる行為は、さっきまで川の中で生活していた命をいただくので、感謝の気持ちが強くなります。「ありがたいな」と思うことで味も良くなる。住んでいる川の水がきれいだとか、獲れたてで新鮮だとか、そういうこととは違う意味で、心の栄養になるのです。

旅をさらに充実させる切り札

st_2_07 旅と釣りがひとつになると、旅の中身は何倍も充実したものになります。

 仕事でアフリカのケニアに行くことになったとします。普通ならそこで釣りをするなんて考えもしない。しかし、僕の場合は釣りが好きだから、いつでも釣りをするチャンスを狙っているわけです。かつてイギリスが統治していたアフリカのケニアには、主にレインボートラウトやブラウントラウトがいる場所があります。イギリスが植民地にした土地には、必ず川に魚を放流しているのです。ケニアも案の定ということです。

 僕は海外の取材旅行の時は、必ずコンパクトになるパックロッドという継竿を持っていくことにしています。スケジュールが半日くらい空いた時には、地元の人から「この辺で魚は釣れる?」、「ああ、その辺にいるよ」という情報を集めて、釣りに行きます。それでケニアでも釣りました。不思議なことにそういうときに限って、間違いなくいい釣りになるんです。

st_2_08 取材という本来の目的とは別の楽しみも満喫できて、「今回はいい旅だったな」と思うわけです。ニューヨークみたいな場所は別ですけどね。いや、ニューヨークでも海に行けばストライプドバスがいるから、釣ろうと思えば釣れる。だから僕の旅には、パックロッドは欠かせません。
 ロッドを1本持っていれば、英語圏ではたいてい釣りを楽しむことができます。ヨーロッパでは、旧ユーゴスラビアがブラウントラウトの世界的な釣りの名所と言われています。ああいうところで楽しむ釣りもいいものです。

st_2_09 釣りというプラス1の楽しみがあると、旅の密度は何倍にも高まります。観光名所巡りや美術館巡り、その土地の美味しいものの食べ歩きも楽しいけれど、どちらかというと受身の楽しみですよね。そこに釣りという能動的な楽しみが加わると、旅の楽しみがより豊かなものになります。北モンゴルには、イトウがいます。モンゴルに渓流釣りの竿を持っていったら、イトウが掛かって大変な思いをしたこともあります。そういう予想外の結果も面白いものです。

 僕の場合、ロッドとリールは旅の必需品。もしカバンに余裕があるならウェーダーも持っていきたいところですね。

大きな自然観を持つことで得られる気づき

st_2_01 釣りをすることで、自然観も変わりました。渓流釣りを始めてからというもの、まず川のコンディションを見るようになりました。どうしても、水に対する感受性は鋭くなるものですね。そういうなかで、河川に必要と思えない砂防堰堤がやたらと造られていたり、魚道のない堰堤があったりするとがっかりするし、憤りを感じます。

 暮らしのための自然防災はとても大切です。しかし、「暮らしを守る」という名目のもとに、不必要な場所に悪意のないままダメージを与えている部分もあるのではないか? という気がします。そして、下流域の川の状態を見たとき、その源流部がどうなっているのか想像する癖がつきます。川を見ることで、その地域全体の自然が見えてくる。より深く自然を見るようになると思います。“自然”が、通りすがりの風景ではなくなってくるということです。

 釣りをして、釣った魚を食べようか、リリースしようか考えることも含めて、いろいろなことを一歩踏み込んで考えるようになるし、細かいことに気配りできるようになります。自然保護に対する意識も高くなるし、後世にどんな自然を残していくべきか、ということも考えるようになります。

 僕も柄にもなく、田沢湖のクニマスの復活運動に携わっています。自分でクニマスを釣ってみたいという夢もあるし、次の世代に豊かな自然を残したいという思いもある。それで小説を書くという仕事とは別に、いろいろなところへ出向いて講演をしたり、原稿を書いたりもしています。そうした自然保護に関わる活動も人生の大きなやりがいとなっています。

  次世代を担う人々もそうですが、社会経験を積んだ方にも、ぜひ釣りを楽しんでいただきたいと思います。職業でやっている漁師さんは別にして、我々が楽しんでいる釣りはあくまで趣味です。ですから「釣りをしなさい」と強制はしませんが、僕は「釣りは確かに人生を豊かにしてくれる趣味」だと思っています。

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作家    西木正明
Masaaki Nishiki

1940年、秋田県生まれ。早稲田大学教育学部中退。80年『オホーツク諜報船』で日本ノンフィクション賞・新人賞、88年作品集『凍れるひとみ』」『端島の女』で第99回直木賞受賞。95年『夢幻の山旅』で新田次郎賞受賞。2000年『夢顔さんによろしく』で柴田錬三郎賞を受賞。

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