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SPECIAL TALK  vol.1
by Baku Yumemakura
作家・夢枕 獏が語る「釣り・歓び・愉しみ」

「僕にとっての人生の杖は、ペンと釣り竿かもしれない」

「釣りがあれば、人生に悔いはない」と語る、人気作家の夢枕獏さん。
幼少時代に釣りを始めたきっかけやその後のエピソードを交え、釣りの楽しさ、そしてその喜びについて語ってもらいました。

2015.6.23 / SPECIAL TALK


釣りは自分の可能性を探るファンタジーです

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 釣りの楽しさを一言で語るのは難しいのですが、これだけは言えます。「釣りはひとりでもできるし、仲間と楽しむこともできる。お金をかけようと思えば切りがないけど、シンプルにやろうと思えば竿と針と糸があればできる。

 さらに自分なりに釣りという行為を探ってみると、「釣りは、人間の本能を刺激するゲーム」だと思います。まず、狩猟本能を満たす。さらに蒐集本能や闘争本能も刺激する。詩的な情景も満たされ、ある意味でファンタジーと言えるかもしれません。

 釣り竿を握り、身体を使って魚という実態のあるものを釣っていますが、基本的に釣りは頭の中での作業も多い。まさにイメージの世界です。

 水中のどこに魚がいるのかは見えないけれど、岸辺や船の上から魚の姿が見えているときでも、魚が何を考えているはわからない。自分から見て上流の方で一度魚が跳ねて、下流の方でも跳ねているときは、その中間にもたいてい魚がいるはずです。支流の流れが穏やかな場所なら、魚はあまり頻繁に移動しないし、魚はちょっと動いて、しばらく留まる。またちょっと動いて留まる、という動きを繰り返している。そういう水中のイメージを描きながら、獲物に挑んでいくことを知ると、釣りがますます面白くなります。

 ただ、自分が思い描いているイメージが、必ずしも当たっているという保証もありません。それどころか、まったく間違っている場合もあるし、少しだけ現実とずれている場合もある。でも粘り強く釣り糸を垂れていれば、そのうちどこかで当たるんです。実際の現実と頭の中のファンタジーが重なったとき、魚が釣れる。そうした、イメージと現実とをどう折り合いをつけていくか、という作業が釣りの面白さです。

 僕の場合も釣れないときは、あれこれ考えます。なぜ釣れないんだろう、「天気が良すぎるからいけないのかな」「雨が降り出したら釣れるのかな、夕方になれば釣れ始めるのかな」とかね。誰も正解を教えてくれないけれど、基本的に釣りは、粘れば何かしら手応えはあると思います。「今日はもうだめだ」と竿をしまったときが、本当に釣れないときなんです。あきらめずに竿を出していれば、どんな初心者の方でも、何かが起きる可能性はたくさんあるんです。

延べ竿が一本あれば何時でも子供気分

_DSC0091a そんな風に釣りを楽しめるようになってから、僕はどんな釣りに行くときでも、子供が使うような延べ竿も持っていくようになりました。遊びの釣りのためのシステムですね。

 僕が延べ竿釣りを始めたのは、ずいぶん昔のころです。年齢でいえば、おそらく6歳かそこらだったと思います。

 小田原の実家の近くに酒匂川が流れていて、僕が子どもだったころには、細かい支流がたくさんあったんです。山からの湧き水が流れてくるところもあったし、下流域にも田んぼの用水路に水を引くために造られた支流がたくさんありました。

oikawa そうした小さな流れに、今では信じられないほど多種多様な生き物が生息していて、まずフナがいた。僕らは「キンブナ」「ギンブナ」と呼び分けていたんだけど、2種類いましたね。タナゴも2種類いて、さらにオイカワ、ウグイ、カワムツ。ドジョウも2種類いたし、カジカも何種類かいましたね。普通のウナギにヤツメウナギ、ナマズ、メダカはクロメダカ。当然アユもいたし、その他にも名前を知らない魚が何種類。それは、それは豊かな水路でした。

 シジミもたくさん獲れました。シジミを獲るために砂地をガシャガシャ探ると、シジミと一緒にいろんな魚が獲れるんです。それが魚獲りに目覚めた、最初のきっかけです。そして、その後に釣りを覚えたんです。

ZP1F0224 釣りを始めたきっかけは、親父と一緒に川に遊びに行ったことでした。親父は狭い川に竿を入れて釣りをするんだけど、僕はまだ小さな子どもだったから、バシャバシャ水のなかに入ってしまうんですよ。すると、魚が驚いて釣れなくなるから、親父としてはいい迷惑なんです。かといって、離れた所で遊ばせておくと、溺れたりする危険があるから、目の届くところに居させたい。そこで、子守代わりに短い子供用の竿を買い与えてくれた。「これでお前も釣ってみろ」ってね。短い竹竿で、値段は200円くらいだったんじゃないかな。その竿とエサ用のミミズを渡されて、ウキは親父のトウガラシウキを借りました。親父はヘラブナをよく釣っていたので、玉ウキよりも微妙な当たりをとれる、トウガラシウキを使っていたんです。

 そうやって川釣りから始めて、そのうち海でも釣るようになりました。当時はまだ防波堤の数も少なかったし、それに防波堤って、小さな子どもが釣りをする場所としては、落ちたりするからかえって危なかった。それで磯釣りの真似事をして遊んでいました。

 そんな風に最初は川でも海でも延べ竿釣りでした。グラスの竿を買ったのは、アユのちんちん釣りを始めてからだから、20歳ころじゃなかったかな。それまではずっと竹竿です。グラスロッドのすぐ後にカーボンファイバーが出てきたから、グラスロッドの時代は短かったですね。

 だから、今でも延べ竿の釣りは大好きです。どうしてこんなに延べ竿釣りが好きなのか考えてみたのですが、手に伝わる感触、そして魚との関係がダイレクトだから面白いんでしょうね。

 以前、モルディブにロウニンアジを釣りに行ったのですが、船からもそこそこに大物を釣って、ホテルに帰ってくるとけっこう時間が空いてしまったので、ホテルの近くの海で1メートルくらいの竿に糸をつけて、周囲にある貝やエビを採って餌として使い、最後は水中ゴーグルを着けて竿を持ち、水中で小さな魚を釣って、水中でリリースする。そんな童心に帰るような釣りも楽しみました。

 また、最初から大物を狙っても、なかなか魚が掛からないときもあります。僕の場合、そういうときは、まず小さい魚を釣って、その魚を餌にして中ぐらいの魚を狙う。そうやってだんだんスケールアップしていって、最後に大物を狙うなんて方法もあります。まさに「わらしべ長者」方式ですね。

「釣れない時は、魚が考える時間を与えてくれたと思えばいい」(アーネスト・ヘミングウェイ)

_MG_2530 僕にとっての釣りとは何だろうと、あらためて考えてみると、さっきも言ったように人間の本能を刺激するゲームであり、ファンタジーでもある。強いていえば、人間が生きている根本原理に近いものなのかな、という気もします。

 健康のためにやっている、というわけでもなく、「病気になっても行きたいんだから、好きだから」ということに尽きると思います。なぜ好きなのか、自分でも理由がよくわからないけれど、理屈をつけようと思えば、いくらでもつけられるとは思います。しかし、言葉で説明してしまうと釣りそれ自体が浅くなるような気がして、説明できないところが「釣りの深さ」と言っていいのではないでしょうか。

 釣りを続けていると、年に1回か2回は、新しい発見や「なるほどな」と感心させられることがありますよ。

 以前、九州にアマゴを釣りに行ったんです。そのとき同行した釣り仲間が、なかなかの詩人でね。いろんな名言を残しているんです。その時、彼はこう言ってました。

 「獏さん、人間にはいろんな側面があるけれど、釣りをやっているときに、その人の真の人格が出てくるんですよ」と。言われてみると、確かにそうかもしれない。釣れないときに出てくる人格は確かにある。あれがそうなのかなと。釣り人は、釣れない時間もそれはそれで楽しいものです。釣れていないその瞬間は嫌だけど、釣れるまでの過程も面白い。ずっと釣れていないときに1匹かかる喜びは、さらに大きいものです。

 世界的な作家のアーネスト・ヘミングウェイも言っていますが、「釣れない時は、魚が考える時間を与えてくれたと思えばいい」とね。

 また、釣りの楽しさのひとつに「いきなり本番に臨める」ということもあります。例えば楽器を演奏するとき、いきなり本番ということはあり得ないでしょう。どんなに音楽的才能に恵まれた人であっても、最初は初心者であって、思い通りに演奏できるようになるまでには、必ずトレーニングしなければいけない。ところが釣りは、どんなに初心者でもいきなり本番に入れる。

 僕の本業である小説も「いきなり本番」という意味では釣りと似ています。第三者が読んで面白いと思うかどうかは別として、どんな素人であっても、字を知って入れば小説は書けるからです。

IMG_0623 釣りは、人からの評価はさほど気にならないし、関係ない。自分が楽しいから釣る。小説も基本は、自分に対して書いているんです。プロである以上、読者がどう感じてくれるかは当然意識しますが、最初の読者は自分なんです。まず自分が納得できるものを書く。

 しかし、そのまま自己満足の世界で完結しているとアマチュアで終わってしまいます。自分が書いた作品を他の人にも読んでもらいたい、作品を通して喜びや感動を共有してほしいと思って、腕を磨くのがプロの仕事だと思います。

 「誰かと共感したい」という部分も、釣りと小説は似ているかもしれません。仲間と一緒に渓流釣りに行って、後から合流したときに「ほら、今日はこれだけ釣れたよ」と見せ合う。あれは自分が書いた文章を読んでもらうことと一緒なのかもしれません。釣った魚が大きければ、仲間だけでなくて周囲にいる他の人も見てくれます。それは小説家が読者を想定して筆を執っているのと近いものがあります。

 釣りをしてきて、つくづく面白いなと思うのは、「逃がした魚の方をよく覚えている」ことです。変わった魚が掛かったときとか、大きな魚が掛かって一瞬姿を見てから逃がしたときには、特に鮮明な映像として残る。後悔から反省が始まって次こそは、という気持ちの表れが映像を伴って記憶に残る。

 また、釣った魚を自分で調理して、家族や仲間たちと分け合って食べるのも、いいものです。そういった諸々の出来事も含めて、釣りの魅力は計り知れないものがあります。

 知り合いのカメラマンが50歳を過ぎてから釣りを始めて、僕よりもハマっていました。僕は月に1回か多くても2回しか行けないけど、彼は毎週行っているんです。だんだん道具もそろってきて、僕が知らない間にいろんな釣りも覚えた。

 そこで、「もう、老後は怖くないでしょう」と聞いたら、「その通り!」と言っていました。彼は仕事をリタイアしても、「これから何をしようか」ということで悩むことはないでしょうね。

 今、僕の理想は、仲の良い友人と一緒に、防波堤の近くにある老人ホームに入ることなんです。最高ですよ。読み残したミステリーがたくさんあるから、夜は読書。昼は防波堤で釣りをする。釣った魚は煮るか、焼くか、刺し身にしてもらう。そうなれば、体があまり動かなくなっても、充実した日々を過ごせると思います。そんな将来の夢を語れるのも「釣り」があるからだと思います。

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作家    夢枕 獏
Baku Yumemakura

作家、1951年1月1日、神奈川県生まれ。 東海大学文学部日本文学科卒。 1977年に作家デビュー。 以後、『キマイラ』『サイコダイバー』『闇狩り師』『餓狼伝』『大帝の剣』『陰陽師』などのシリーズ作品を発表。 1989年『上弦の月を喰べる獅子』で日本SF大賞、1998年『神々の山嶺』で柴田錬三郎賞を受賞。2011年『大江戸釣客伝』で泉鏡花文学賞と舟橋聖一文学賞を受賞。同作で2012年に吉川英治文学賞を受賞。 漫画化された作品では、『陰陽師』(漫画 岡野玲子)が第5回手塚治虫文化賞、『神々の山嶺』(漫画 谷口ジロー)が2001年文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞をそれぞれ受賞。 映画化された作品に『陰陽師』『陰陽師2』(東宝)、『大帝の剣』(東映)などがある。

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